Pres. HOSODA MESSAGE

弊社代表取締役社長・細田雅春の取材記事や発表した文章などを随時掲載しております。

代表取締役社長

多元的社会を生きる
多様性から複雑な多元性を許容する建築の使命

グローバル社会という現実が日常化し始めたのは、言うまでもなくデジタル・ネットワーク技術の進歩と普及である。そしていまや、ネットワーク速度は第5世代移動通信システム(5G)の時代に突入し、大容量データを極めて高速に処理できる環境ができ上がりつつある。5Gは、これまでの通信環境とは大きく異なり、単に通信速度が速く、大容量になるだけではなく、信頼性が高く遅延の少ない通信であること、そしてこれまでよりも多数の端末が同時に接続できる通信であることなどの特徴がある。しかしながら、従来に比べて何よりも大きな変化は、その全てが「非連続的」な進化の結果であるということであろう。

価値観の焦点が「モノ」から「情報」へ

今日のわれわれの生活を考えてみれば分かることだが、20世紀後半に至るまでの社会は産業革命以来、工業化が進み、さまざまな産業が生み出す製品が社会に供給され、大量生産・大量消費による、極めて画一的ではあるが、物質的な豊かさを目標にまい進してきた。

しかしながら、20世紀の終わりごろから社会の求める豊かさの指標が工業製品に代表される物質的なものから急速に変化した。その一因は、ITによる技術革新とインターネットの普及であろう。価値観の焦点が「モノ」それ自体から「情報」へといわば非連続的に移行したのである。その結果、情報社会にふさわしい工業製品を生み出す産業はもちろんのこと、それぞれの思いでベクトルを変えて、独自性の高い情報を扱う新たな産業が注目されることとなった。

まったく新たな産業が生まれれば、人々のライフスタイルも新たに変容していくのは言うまでもない。変化に追随できずに衰退する産業もあるだろう。かつて世界をリードしてきた日本企業も青息吐息の状態で、撤退や外国企業との統合・吸収を余儀なくされている。いまや日本の産業が持っていた力は昔日のものになりつつあるようだ。そこにきて、追い討ちをかけるように5Gの話題である。ようやく政府も5G導入に対する税制支援などに取り組み始めたのは喜ばしいが、日本が乗り遅れていることは明らかである以上、いまさらの感も強い。

こうした背景の中、世界ではデジタル・ネット社会のさらなる進展に向け、技術革新がより加速化している。例えば、米国のGAFAや中国のBAT、ファーウェイなどが情報の囲い込みに向けてしのぎを削っているような状態である。

人間本来の感覚で判断する力が問われる

もちろん、現実社会、すなわちわれわれの日常は、極めて身体的なレベルでアナログに動いている。それがわれわれの生活の原点であることはこれまでの社会と何ら変わりがない。しかしながらそうした日常や生活に対し、デジタル的思考がレイヤーのようにいわば立体的に重なることで、われわれはこれまでの社会とは決定的に異なる日常、すなわちデジタルがアナログと融合した日常を生きることになったのである。もはやスマートフォンはツールとして手放せないものとなり、キャッシュレス時代の到来により現金さえ持たない生活もあり得る時代になっている。

このデジタル・ネットワーク社会においては、日々増え続ける無限とも言える情報が重要になるが、それをどのように取得選択し活用するのかが最も問われるべきことになるはずだ。データを活用するのが人間である以上、言うまでもないことだが、人間本来の感覚で判断する力が問われることになる。

例えば、気候変動の問題を考えてみよう。世界各地の気候の変化をデータとして大量に入手すれば、それまでの知識では及ばなかった理解につながる。世界各地からの情報は個別的で非連続的だが、その集積が地球規模での気候変動を立体的な形で示唆するのである。しかしながら、情報が示唆する結果をどう捉えて判断するかは、最終的には人間の生身の直感に任されている。

人間にあって機械にない「直観」に意味

このように、デジタル環境の恩恵を積極的に受け入れるということは、非連続的で多様な情報を受け入れたうえで、3次元的、すなわち立体的に活用することにほかならない。それはそのまま多様な世界のあり方を許容しなければならないということにつながる。デジタル社会とは、多様性を受け入れる以上にそれが積み重なって立体的な多元性を生み出す社会なのである。もちろん、そこには競争も存在するはずだが、譲り合いや共有、共存も存在するだろう。そしてそのあり様は立体的なものになるはずである。したがって、他者に対し一方的に価値観や利便性、合理性を押し付けるのではなく、他者との出会いにより新たなイメージの出現を期待する姿勢こそがいま必要なのである。

非連続的なデジタル社会の情報は、アナログな人間によって連続的、立体的に解釈されることで意味を成すが、もちろん、情報を過信してしまえば現実を捉えることは出来ないことにも注意せねばならない。そこにこそ人間にあって機械にはない「直観」の意味があると言えるだろう。

では、多元的社会における建築と、それに携わる人間の使命は何であろうか。それは個人個人の直観の根底にある、哲学や思想に裏打ちされている。したがって、個別のアイデンティティーを根拠に、複雑な現実社会のあり方を読み取ることだと私は考える。建築とは、時代に呼応した多彩な色を持ちながら、多様性といういわばフラットな状態よりも、そうした多様性が積み重なり、いわば立体的な多元的な未来へとつながる社会的インフラとなることができるのではないだろうか。

日刊建設通信新聞
 2020年2月12日掲載